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イベントや関連TV番組の雑感です

THE DAY 映画 ライヴ TV 魅力 INDEX

U-作忌

1990年10月、パソコン通信ネットワークPC−VANにある映画SIGで、オン・ライン追悼イヴェント“U作忌”が開催されました。お気に入り作品投票もあったのですが、映画1位『ブラック・レイン』、2位『野獣死すべし』、とドラマ1位『探偵物語』、以外は各1票ずつに割れてしまい、参加者数も少ないヒッソリとしたものでした。

それまではごくごく地味で平凡な一RAMにすぎなかった私が、とんでもなくミーハーな本性をさらしてしまうキッカケとなった駄アーティクルの数々を手直ししたものをこのページに載せてみました。関連書籍が出る前に書いたので記憶違いも多々ある赤面モノですが、まぁ縁起モノととゆーことで…
YUSAKU



1989年11月6日

優作は遠いところへいってしまいました。

7日の朝、寝ぼけまなこでTVをつけるなり優作の名前が耳に飛び込んできました。丁度4日前の祝日に『ブラック・レイン』を観に行ったばかりだったし、なにかの賞を取ったor外国映画に出演が決定したのだと信じて疑いませんでした。

でも、それが訃報だとわかった瞬間、体じゅうの力が抜けてテレビの前にへたりこんでいました。それこそ身近な誰が亡くなった時よりも大きなショックでした。あまりに突然だったし、何よりも私にとって優作がいかに大きな大きな存在であったかを思い知らされました。

直接、会ったこともないのに、彼はひところ私の理想であり憧れの男性でした。作品を通した虚像と知りながら、私生活に関する記事やインタビューをジグソーパズルの様に組み合わせ、私は彼の総てを肯定していました。オトナになって、グラビアを切抜きこそしなくなりましたが、俳優としての彼の仕事を楽しみに追い続けていました。疑似恋愛の懐かしさを思い出しながら。

それから数日間、仕事はサボり、ありとあらゆるワイドショーの類で組まれた優作追悼特集を見まくっていました。時間帯が重なればチャンネルを替えながら…我ながら何をやっているんだと呆れもしましたが、何かをせずにはいられない気持ちに駆られていました。あの頃は時間がおそそろしくゆっくりと流れていくように思えたものですが、想いだけが取り残され、いつの間にか私の日常も戻って来ました。

その6年前、『竜二』公開時に亡くなった金子正次さんの葬儀委員長を務めたのが優作だったのを思い出しましたが、『ちりめん三尺ぱらりと散って』という本に彼らの友情が記されていました。成功を目前にした友の死を嘆き、心底悔しいと言っていた優作が、同じ月に同じガンで逝ってしまうなんて皮肉です。そして優作の葬儀に沈痛な表情で参列していた成田三樹夫さんまでが数カ月後に亡くなって…。

今も数々の作品の中に、彼は生きています。そして友人だったり後輩だったりする沢山の俳優に、色々な形で影響や刺激を与えて、彼らの中に種を蒔く人であったと思います。美由紀夫人の葬儀の挨拶にあった通り、私も心の中にいつまでも優作の事を忘れない、忘れられないでしょう。今日までずっとそうだったし、そしてやっぱり明日からもずっと…





 映画の思い出 


フィルモグラフィにリンクした作品別データに添えたコメントとダブる部分もありますが個人的な思い出を中心に…(不思議と見落とされがちな事実が不思議〜っ。ま、い〜んだけど)
1973年中学1年の文化祭の日、抜け出した悪ガキ5人組で映画を観に行きました。当時の私は志垣太郎が好きで、初主演作『狼の紋章』を、ショーケンのファンだった友達が『化石の森』を観たい!ということで、めでたくこの2本立が選ばれたわけです。
平井和正のSF狼男小説の映画化でしたが、わざわざアラスカから仕入れた狼の毛を使ったというSFXは、私達ガキんちょの目からもチャチで失笑モノでした。ところが私の瞳は仇役の番長を演じた、白い学生服に日本刀を持った長身の人物に釘付けになっていました。スタイルの良さ、ゾクッとくるような冷たいワルぶりは衝撃でした。映画が終わると友達が「ジーパン刑事がこんな映画に出てるんでビックリ〜!」…そこで初めて『太陽にほえろ』の話題の新人刑事=松田優作その人であった事を知ったのです。
運悪く、金曜は塾通いで番組が見られなかった私は我が身を呪いました!当時はビデオなどあるハズもなく、TVのために…なんてとても親に言えずで。その後、再放送で何度も観られたので溜飲を下げましたけれど。父の高価なカメラを無断借用してTV画面をねらい、ごくわずかな成功に賭けて膨大なフィルムを浪費(現像代も高かったし)したなんて若い方には信じられないことでしょう。
『ともだち』『あばよダチ公』は大きなビデオショップがオープンしたときに見つけ、やっと観られた感涙ものでした。内容的には絶句でもありましたが…
『竜馬暗殺』は初めて映画サークルの自主上映という形で観た思い出深い作品。小さな貸ホールに映画好きだけが集うシチュエーションも、やみつきになる魅力がありました。
『ひとごろし』は劇場予告で期待しながら見逃してしまい、ようやくビデオで出逢えました。優作にとってはストレスのたまる仕事だったそうですが、違った面が見られるので、コメディ好きにヒッソリ布教活動しています。
『暴力教室』当時の舘ひろしは元暴走族ロックシンガーとして鳴らしていました。見逃し続けてやっとTVで…という悲惨さ。教師役と優作って似合わないと思いましたが、まあこれなら…と納得。
角川映画第2弾『人間の証明』は、TVスポットを含めた大量宣伝が思い出されます。名曲をバックに優作の朗読とあの麦藁帽子…CMが完璧すぎて中味が薄いのが難ですけれどジョージ・ケネディと並んでもヒケをとらないし、NYの街にもとけ込んでしまう優作…スケールの大きさを証明してくれたようなものです。大ヒット作だったので、違う友達に誘われるたびつきあってしまい、3度ほど劇場に足を運びました。
遊戯シリーズは角川映画と正反対のプログラムピクチャー、B級映画路線で実に魅力的でした。馴染みのキャストが遊びまくって作ったような、楽屋オチやアドリブ風のリラックスした雰囲気と、アクションシーンでの緊張感がブレンドされて独特の色あいを持っていました。 東映といえばヤクザ映画という頃でしたから劇場に行くのもちょっとドキドキ
『乱れからくり』は篠ひろ子と共演した推理モノで、相当地味な印象です。併映が『黄金のパートナー』(藤竜也・三浦友和・紺野美沙子の『冒険者』ノリ)というのもねぇ…
『俺達に墓はない』の頃の岩城滉一って当時はマイナーというか、一部に熱狂的ファンが…という感じでした。結構、優作とは仲良しなのかな〜と思って見ていたものです。『蘇える金狼』にもチョイ役で出演していたし…。そういえば金狼のTV放映ではラストシーンの機内のくだりがカットされていて激怒したことがありました。
遊戯シリーズのファンには「笑いの要素がない」と不評だった『処刑遊戯』、とっても好きです。ををっハードボイルドだぁ〜!って感じで。冒頭の連続アクションのド迫力といい、全体のブルーのトーンがたまりません。お酒が飲めるようになったら、バーボンは絶対オールドクロウにするぞ!と決心したのですが、下戸の悲しさで実現に至らず…
『レイプハンター/狙われた女』ばかりはアダルトビデオのコーナーに入る根性がないまま未見です。同じくチョイ役でゲスト出演した舘ひろし主演『薔薇の標的』は、ジョーダンで飛び入り…風の遊びが嬉しかった!
『野獣死すべし』公開当時は頭をかかえてしまいましたが、これはスゴイ名作だと思います。演劇的と云うか、妖気漂う雰囲気で、徹底的に“病い”を追求してしまった実験的演技とでも言いましょうか。
『ヨコハマBJブルース』は、出てくるなりトイレシーンという意表をつく攻撃!思いきりシンガーしちゃいましたが、とにかく名曲ぞろい。なかなかアブナイ世界でしたが
『陽炎座』は鈴木清順どっぷりで、遠くに行ってしまったかのような淋しさもありましたが、視覚的に鮮やかな印象があります。難解ですが『ツィゴイネルワイゼン』で傾向と対策が出来ていたので楽しめました。パズルに似た感覚でしょうか。東京在住の友達が、この作品のハードカバー状豪華写真集を持っていたので探しまわったのですが、ついに入手できませんでした。
『家族ゲーム』はそれまでの試行錯誤が花開いた感じ。森田監督と優作に拍手!洋書の映画ビデオリストにも掲載されていましたが、インターネットのWebデータベースでも発見。外国人にはこの作品がとううつるのか、興味深いところでもあります。
『探偵物語』は大学受験休業していたアイドル絶頂期の薬師丸ひろ子復帰作で、ファン待望の一本でした。角川で出していた雑誌『バラエティ』読者は彼女と優作ファンで大半を占めていたのではないでしょうか。
『それから』もミョーに好きです。優作は損な役回りでしたが、ストイックさがまたシブくて。文豪の原作を映像化する上でのこなし方がうまいと感じるのは、観てから読んだせいだけとは思えません。
『ア・ホーマンス』は優作自身の監督作なので思い入れも違って来ます。沢山アラはありありますが、風を感じられる映像でした。素人だったけれど映画人が撮ったと認めたい!
『嵐が丘』はちょっと苦しいかな…という出来でした。優作の時代劇は本当に久しぶり。
『華の乱』ではどこか瓢々とした、ほんわり優しい丸さを感じてしまいました。何かをつき抜けたんじゃないかな…という悟りの境地みたいな安心感があって。
『ブラック・レイン』は優作がアクションに帰って来た、でも以前にも増して厚みが出て新たな方向が見えてきたような気がしました。映画では遺作…なんて全然違った意味を持ってしまったのが残念でなりません。


  ライヴの思い出 


優作は数枚のアルバムを出しましたが、80年と81年には全国ツアーも行いました。地方では俳優を間近に見る機会といえば試写会くらいなもの、このチャンスを逃すテはないと、2年とも見に行きました。
1回目は『TOUCH』が出た頃で、初めてナマで見る優作に感動してボーっとしていました。うわぁ〜動いてる!という信じられなさばかりでした。後半盛り上がっているさな私の目の前に不意に何かが飛んで来ました。咄嗟によけると、それはフワリと後ろに落ちて行きました。なんと優作がステージから投げたハンカチだったのに、彼の顔を見ていた私は気づかなかったのでした!後悔先に立たずとはこの事です。未来永劫、悔やまれます
翌年、『ヨコハマBJブルース』で使われた曲を収めた『HARDEST DAY』のツアでは、さらにステージに近い席でした。アイドル系と違って警備員ナシのノーガードなので前回はプレゼントや花束の渡し放題だったという教訓を踏まえ、私は自分で描いた似顔絵をデフォルメしてオリジナル人形を作りました。手芸・裁縫大キライの私が!友達に見せても一目で「優作っ!」と判ってもらえる出来だったのに気をよくし、それをペーパーバッグに入れて手渡すことに成功しました。ステージで彼はプレゼントをひとつずつ掲げ「花束有難う、部屋に飾ります」「シャツ…かな?後で着ます」とお礼を述べていきました。そしていよいよ私のプレゼントの番に…「ありがとう、楽屋で食べます。パン!」………嗚呼ラッピングなんかせずに渡すんだったっっ!という未来永劫の悔い第2号です。カアサン、ボクノアノ人形ドウシタデセウネ…
握手してくれた優作の手は、大きいのに指が細く長くて、あの瞬間、本当に優作がスクリーンのこちら側にいるんだと実感できました。歌手としての優作は決して上手とは言えませんでしたが、好きな音楽を楽しんでいるって感じでした。内田裕也が主催していたニューイヤーズコンサートでのライヴに出演した時などは(TV放映を通してしか見られませんでしたけれど)仲間同志本当に楽しそうにやっていました。沢田研二とのジョイントという意外な顔合せがあったりして
『まつりうた』や『Uターン』は流行りだった“俳優のレコード”という感じで語りを多く入れたりしていましたが、特に『夏の流れ』はお気に入りでした。『TOUCH』『HARDEST DAY』と段々、本格的?になって『INTERIOR』(別れて暮らす長女が幼稚園で描いた絵をジャケットに使っていたのも、なにかせつないものがありました)や『Deja−Vu』あたりの音作りは凝っています。CMソングにも使われていました。
とりわけ『HARDEST DAY』は愛聴盤で、ボロボロになってしまいました。88年12月、かつて一緒に『狼の紋章』を観た友達のひとりが亡くなりました。彼女の死を聞いても信じられず、一晩中『ブラザーズ・ソング』を聴き続けました。事故で逝った友に捧げるような歌詞が、まるっきり同じ状況で余計悲しくなりましたが…。
それからわずか10カ月後、今度は優作を想ってあのレコードをかける事になるなんて思いもよらないことでした。でも彼女だけは天国で「優作が来たぁ!」と狂喜乱舞していたに違いありません。まったく人の気も知らないで…


  TVの思い出 


ちゃんとした資料がないので記憶だけが頼りです。数ある出演ドラマから印象に残っているものを並べてみます。
デビュー作『太陽にほえろ!』は長寿番組となりましたが、最も美しい“走る姿”の持ち主が優作でした。新人抜擢→殉職で降板、がパターンとなっていきましたが、いま見るとまだまだ青い若造に思え、あんなに大人に見えた人をいつの間にか追い越してしまったことに気付きます。あたりまえのことだけれど…
『赤い迷路』、死んでいくシーンで煙草を使ったのがシブくて印象的で、しばし余韻にひたっていました。何かの映画で原田芳雄がやったのとソックリ…と近所の大学生のお姉さんが教えてくれましたが。


中村雅俊との刑事モノ『俺達の勲章』ではクールなのにコンビのシーンは実におかしく、あまりにも対照的な長身コンビが最高でした。コインの賭けで「表が出たら俺が先、裏が出たらおまえが後!」と相棒をケムに巻く台詞は、よく真似したものでしたが、けっこう使えるヒッカケです。大人〜って感じのカップルにも憧れました。



『大都会PartU』(左)も、刑事役が続いていた頃でなつかしい…クセのあるメンバーの中でも、やっぱり輝いていました。その前身だった『大都会』にも謹慎休業期間中に1度だけゲスト出演(右)し、犯人のヤクザを演じたことがありました。


『探偵物語』は遊戯シリーズがTVに引っ越して来たような楽しさでした。お馴染みのメンバーで、あそびの精神にあふれていました。最終回の迫真の演技は、それまでの軽さから一転、長回しとBGMの『身も心も』は忘れられません。根強い人気での再放送、LDボックス、CD−ROMにムック本、ホームページ、さまざまなメディアで再会できるので説明不要ですね。

向田邦子の『春が来た』(左)と、まるっきり『俺達に明日はない』(右)だった『熱帯夜』で桃井かおりと共演が見られました。前者ではどこかつかみどころのない婚約者役。後者はクライド役で、すべてを日本に置き換えたものでした。せんだみつおがM・J・ポラードの役を演って意外といい味を出していて。それにしてもラストに『昭和枯れすすき』が流れたのにはぶっとびました!



『新・夢千代日記』(右)の記憶喪失の男は、優作ならではの味わいがあったと思えます。水谷豊のTVドラマシリーズ『あんちゃん』にゲスト出演した時(左)も似た感じの役柄で、禅問答のようなやりとりは、息詰まる迫力がありました。(フツーのドラマなのにそこだけ浮いたような)。NHKでのドラマは『新・事件/ドクター・ストップ』にしても、どこか似た印象だったりします。
和田勉演出『女殺油地獄』でも、鬼気迫る演技は際立っていました。TVという気がしなかったほどで、劇団時代は舞台も経験していたというのもうなづけました。確か芸術選奨を受賞したと思うのですが、お陰で再放送の機会も多かったラッキーな作品。基本的に優作の髷姿には違和感があるけれど…


『桜子は微笑う』は相当におビョーキ系キャラクターでした。『ラストエンペラー』にひっかけて作られた感じのドラマでしたが、キャストが豪華な割に消化不良で実りのない話で終わったのが惜しまれます。

『華麗なる追跡』は本放送を見逃し、追悼再放送だったので辛すぎました。

TVでも活躍した優作でしたが、そのワクに閉じ込もらずに映画と両立させ、互いのメディアで出来ない部分を補い合っていた様な気がします。劇団での基礎と演技者としてのポリシーがあったからこそ、鬼気迫る作品も笑える軽さもこなして来られたのではないでしょうか。もちろん失敗だってありましたが、それは必ず後の作品に生かされていたと信じます。
蛇足ながら、ギャツビーのCMのヘンな軽さも素敵でしたが、鈴木清順監督で原田芳雄、宇崎竜童とハワイロケしたライトビールのCMが大好きでした!少年のよーな無邪気さで、和気あいあいとした雰囲気がヨカッタ!


 優作の魅力 


初期の優作はアクションスターであり、躍動する肉体の持ち主でした。スリムなのに引き締まった筋肉はバネのようで、殺し屋役のトレーニング風景や脱出シーン等では、しなやかな強さを発揮していました。また顔だけが命の二枚目とは違った変幻自在なキャラクターだったように思えます。サングラスを外してコメディにもすっと入ってしまえるような…
やがて、普通の人間の日常を…さらに狂気を追求して行く過程で、彼はデ・ニーロを意識していたように思えました。『キング・オブ・コメディ』を絶賛し、悔しがっていたコメントが思い出されますが、『探偵物語』CD−ROMに収録された俳優仲間の証言も、うなづけることばかりでした。映画ファンとしてシビアーな目を持つ彼は『コットンクラブ』試写会直後にTVワイドショウのマイクを向けられ、他の芸能人達が曖昧な賞賛コメントを並べる中で「コッポラはもうダメだね…期待してたんだけど」と怒っていた唯一の正直者でした。
おビョーキ路線を突っ走る時期、どこへ行ってしまうのだろうと不安はありました。でもその影響のお陰で邦洋のマニアックな難解映画を観まくり、自分の中の好き嫌いを見極めていく良い機会にもなりました。
振り返ってみると、憧れていた原田芳雄の芝居を真似ることからスタートした彼は、コミカルな台詞廻しと渋さを徐々に“優作流”にしていったのだと言えるかもしれません。演技者として確実にスケールアップし、ますます良い味わいが出てきていたのに…。
彼ほど、同性に好かれる人も珍しいのではないでしょうか。ファンはもちろん、俳優でも多彩な顔ぶれの“仲間”に慕われ、侠気を感じさせてくれました。いつも映画館では男性客の割合が高かったような気がします。とにかく大きな大きな人でした。
私にとっての優作は“工藤ちゃん”ではなく、俳優・松田優作です。もちろんTVシリーズ『探偵物語』は大好きですし、TVドラマでの彼も全部ひっくるめて愛しています。でも、遅れてきた映画スタア…とも言われた彼が、映画にこだわり続けてくれたことが、私自身の映画館通いの原動力にもなっているような気がします。

YUSAKU


U作忌ではここぞとばかりに優作の事を書けてスッキリしたというか、ひとまず自己満足の境地に達した様な気がします。出せなかったラブ・レターを臆面もなく人目にさらしたようなものですが、それを7年も経ってから再び引っ張り出してくる自分の執念深さがコワくもありますけれど…。実家に残してきたコンサートのパンフレットや膨大な切り抜きがあれば、もっと満足のいくHPが出来るのに…と悔やまれます。行方不明の資料が発掘できたら手を加えていきたいと思っています。